感謝しかない
先日、長男の授業参観に行ってきましたら、
国語「ちいちゃんのかげおくり」をやっていました。
「かげおくり」って遊びをちいちゃんに教えてくれたのは、お父さんでした。
・・・っていう出だしだけで泣けてしまう私。
そういう超敏感なセンシティブすぎるところがあるので、えらい細かいところに違和感感じたりすることがあります。特に、言葉に対して違和感を感じやすいです。
今回のターゲットは
「感謝しかない」
です👍
いや、ほんとうに感謝でいっぱいなんでしょう。
だから、そういう言葉を語った人の人格とか、気持ちとかそういうのを否定するつもりではなくて、
あくまで表現としての「感謝しかない」について、
今回つっこんでみたいと思います。
感謝しかない
と聞いたときに、違和感というか、なんかすっきり受け取
れないんです。
なぜ
感謝です。
ありがとう。
というシンプルな言葉を使わないのか。
・・・こんなとこに突っ込んでいくなんて、うっとうしい奴ですね・・・ けど大体四六時中考えてるのはこんなことです(笑)
考え方として、他の表現だとどうかという比較から攻めていきます。
【1.ない と ある】
1-1:(私に)あるのは、感謝だけ。
この表現は、まず「私」のエリアを囲んだうえで、そこで存在が確認できる感情は感謝だけでした。という形。 でもこの形もなんか違和感感じるのよね・・・。
1-2:(私に)感謝しかない。
この表現は、エリアは囲みません。とりあえず、「感謝」にフォーカスして、それ以外の地の部分を強力に否定している表現。
こっちのほうがフォトジェニックで「感謝」が目立ちますなぁ。 でもさ、図と地は簡単に反転するんですよね。
※向かい合う女性と壺の絵が有名。
ないと言われる「地」に注目しちゃうと、そこに何かあるような気がしてくるのは、私だけ?(笑)
1-3:ある、ないに存在する気持ち悪さ
「ある」と言われると、「ない」が気になるし、「ない」と言われると「ある」が気になる。
存在論にかかわる部分かな。
もう少し考察が必要か? さすがにめんどうになってきた。
【2.しかない を別の表現で使ってみる】
2-1:100円しかない
〇財布に100円しかない・・・だから、ジュースも買えない(笑)
2-2に比べると軽い感じはあるけど、量の多少か?
2-2:1億しかない
〇この企画に3億いるのに1億しかない・・・だからこの企画はできない
2-1,2-2に共通するのは、理想形があるけれど、現実がそれを満たさない という状況。
であるからして、
「感謝しかない」
は、本当は違う理想形があるけれど、現実は感謝というものだけで、理想を満たしていない
という構造を感じさせる可能性がある。てか私は感じてるな。
【結論】
フォトジェニックはほどほどに
そうそう、
ちいちゃんのかげおくり・・・そういう話だったか。
その場面はカットでいいんじゃないかと思うけどなぁ。と思いました。